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卓袱料理とは
卓袱料理のはじまり
卓袱料理のはじまりその昔、隠元和尚等によつてもたらされた普茶料理の配膳型式に、 長崎町民の間で作り出された和・唐・蘭のミックスした献立が、そのまま盛りつけられ、 長崎独特の料理を生み出しました。それが卓袱料理の始まりだとされています。
一卓一卓に大皿で数人分の料理を盛る卓袱型式(朱塗りの円形テーブルを卓袱(しっぽく )と呼んでいます)は、簡単で合理的なため、その後町人たちが多い長崎で大いに受け、 今もなお長崎ならではの味として愛され、親しまれています。
どうか、なごやかに、長崎の歴史でもひもときながら、長崎卓袱浜勝ならではの卓袱料理をじっくりご賞味下ざい。

膳のはじまり「お鰭をどうぞ」・・・?
今日の卓袱料理の献立は、慶応時代より形式、内容、盛り付けなど余り変わっていません。 営業用としては明治中期と云われています。料理はすべて小菜(小さい皿のこと)、大鉢、中鉢など様々な大小の皿に 人数分を盛りつけられ、取り皿2枚でそれぞれを味わうのが習わしとなっています。
使用するテーブルの、そのほとんどが中国風朱塗りの円形です。ここにも文化の窓口として 栄えた当時の長崎が眼に見えるようです。新鮮な山海の幸に恵まれた長崎の風土と、 異国の文化との融合から発展した料理と云えるでしょう。朱塗りのテーブルの中で一番最初に 「お鰭をどうぞ。」と主人役がすすめるのは、お客一人に魚一尾を使ったという、 もてなしの意味が込められています。

長崎人の気質と風土が育んだ卓袱料理。
今日、長崎における郷土料理の代名詞とさえいわれる卓袱料理の発展は、気さくな 新しもの好きの長崎人気質に加え、当時においても食材が豊かなことがあげられます。 料亭での卓袱料理は時代とともにさらに洗練ざれ、食べるための‘しきたり’などが 生まれてきました。


長崎らしい特色の卓袱料理
元亀二年(1592)の長崎開港以来、ポルトガル人、オランダ人、唐人等の多くの人々が 長崎の文化に有形無形の大きな影響を与えてきました。また、江戸時代の二世紀半以上に わたる徳川氏の天領としての貿易港・長崎は、その関係から一地方でありながら、 中央都市と密接な関係を持ち、風俗の面に於いても江戸上方の影響を受けていました。 こうした文化の混合が士分、町人の階級の垣根を低くし、気さくな長崎人気質を育て長崎独自の 特色を生み出したのです。料理の分野に於いても、例外ではありませんでした。 その中でも特に中国料理と日本料理は互いに影響しあい、食事作法も一つの器に盛られた料理を それぞれ自分の箸で取って食べる卓袱料理などが、宴席などでは特に好まれるようになりました。


人形

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